トルコ10日間の旅

4日目
【2010年6月22日(火)】


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アクロポリス遺跡(ベルガマ)↓
ベルがモンと呼ばれたこの地に、アレキサンダー大王の死後、遺産を手にしたリシマコスによって新王朝が開かれましたがシリアとの戦いで戦死。部下であったフィレタイロスがその財宝を継ぎベルガモン王国を築きました。甥のエウメネス1世の時代に入るとローマとともにシリアと戦い、小アジアにおける交易の権益を得ました。その富をバックにギリシャ文化をを取り入れたアクロポリスの建設が次々と行われるようになりました。













アクロポリス遺跡(ベルガマ)↑


車窓風景↓



昼食のレストランで↓



アルテミス神殿跡(セルチュク=エフェソス近郊)↓









アルテミス神殿跡↑

エフェソス遺跡↓
紀元前11世紀頃からイオニア人により都市建設が進められ、盛んな交易によってエーゲ海沿岸の都市国家の中でも著しい発展を遂げた町です。イエスの母マリアも使徒ヨハネとともにエフェソスの地で余生を送ったとも伝えられています。紀元前2世紀には共和制ローマの支配下におかれ、アジア属州の首府となりました。マルクス・アントニウスとプトレマイオス朝エジプトの女王クレオパトラが滞在した地でもあります。繁栄を極めた紀元前2世紀に作られた体育場、競技場、大劇場、娼館、公衆トイレ、神殿、浴場、音楽堂、市公会堂や図書館など、ローマ時代の遺跡が数多く残っています。当時は遺跡のすぐ近くに港がありましたが地震の影響や、二つの山から流れ込む土砂の堆積により、相当昔から海岸は離れてしまいました。世界最大級の大規模な古代都市でありながら、手を加えたからということでか(?)、世界遺産には登録されていません。別に世界遺産でなくてもよい、古代の建造物の形を比較的多く留めているこの遺跡は最高でした。ガイドさんが絶賛していたことに間違いはありません。トルコに行くなら必見の場所の一つであることは明白です。









































エフェソス遺跡↑


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