塩船観音寺と新撰組のふるさとを訪ねて    
【2011.4.26】


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塩船観音寺

東京都青梅市塩船にあり、本堂は室町時代末期(16世紀前半)の建物といわれ、国の重要文化財に指定されているお寺です。春のつつじや初夏のあじさい、初秋の萩など、花の寺としても有名です。今回はつつじを目当てに行ったのですが、とても冬が寒かった今年は開花が少し遅れているようで、全体的にはまだまだ早いなという感じでした。
早咲きのつつじが部分的に咲いていてそれなりに楽しむことはできました、GW後半頃には相当開花し、さぞかし見ごたえがあるようになることでしょう。

日野宿本陣と新撰組

元々の日野宿本陣は1849年(嘉永2年)の正月18日の大火によって焼失してしまいました。
現在の建物は、日野本郷の名主であった佐藤彦五郎(土方歳三の姉の嫁ぎ先)が10年もの歳月をかけ再建し、1863年(文久3年)の4月に上  棟し、翌1864年(元治元年)の12月からは住まいとして利用していました。大火のさなか、彦五郎は恨みを持つ男に切りつけられたものの、あやうく難をのがれましたたが、祖母が殺されてしまいました。こんなことから、宿場の治安は自分で守る必要性を強く感じ、天然理心流の近藤周助に入門し、陣の再建中に同じ敷地内に、自ら道場をすでに開いていたのでした。この「佐藤道場」は、新撰組局長・近藤勇、日野市 出身の新撰組副長・土方歳三や井上源三郎、その他沖田総司をはじめ、多くの新撰組のメンバーが稽古に励んだ所です。

高幡不動尊

土方歳三の墓がある石田寺に行ったのですが、墓のほとんどが「土方家の墓」ばかり、下調べもしてなかったので肝心な土方歳三の墓にはお目にかかれませんでした。この日は風が強くあちこちの卒塔婆が揺れ、とても不気味な音を発していました。見つけるのは諦め、土方家の菩提寺である高幡不動尊境内に建てられた「土方歳三の」の銅像を見て帰ることにしました。

塩船観音寺



仁王門↑



本堂への石段↑



本堂↑



旧鐘楼↑



薬師堂↑



鐘楼↑





塩船平和観音↑



護摩堂拡誓閣↑



つつじと護摩堂仏誓閣↑



塩船平和観音付近からの景色↑



つつじと護摩堂仏誓閣↑


日野宿本陣



冠木門↑



本陣↑ 



玄関(現在は出入り不可)↑



上段の間の写真(実際の部屋は本陣にはなく有山家に移築)↑





明治26年に54軒の家が焼失した日野大火災によって、すぐ近くにある有山家(佐藤彦五郎の四男彦吉の養子先)も被災してしまいました。佐藤彦五郎は上段の間と続きの一間を有山家に譲り、移築することになりました。その際、庭園にあったひょうたん池は建物の移動の支障となり、埋め立てられてしまいました。後に、その池を偲んで「柱には鯉」、「縁側」にはひょうたん池が刻まれました。↑



釘隠し・コウモリ↑



釘隠し・ウサギ↑



佐藤彦五郎家車紋の木彫り↑



4種の植物で春夏秋冬をあらわす透かし彫り欄間の一部↑



佐藤家が使用していた食器や枕など↑



湯殿で使用されていた生漆塗りのたらい↑



創建当初の瓦↑



旧長屋門大扉↑ 















井上源三郎・資料館(本陣から徒歩でわずかです)↑



土方歳三の石碑(石田寺)↑


高幡不動尊▼  




高幡不動尊↑




仁王門↑



不動堂↑



土方歳三像↑





境内の新緑が鮮やか↑



五重塔↑



真っ赤な山つつじ↑ 


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