河津桜2006.02.27-28】


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河津桜の名所となった所以は?!

★河津桜原木物語★
 
昭和30年頃の2月のある日、この家の主であった飯田勝美氏が、河津川沿い(豊泉橋上流の田中地区側)の冬枯れの雑草の中で芽吹いていた約1メートル位育った桜の若木を偶然見つけて庭先に植えた事が始まりでした。約十年後の昭和41年1月下旬、やっと花が咲き始めました。同年4月、主の勝美氏は花が咲くのを見届け永眠しました。後にきれいに咲く桜を見て譲ってほしいという話もありましたが、思い出の桜の為手放さなかったそうです。当時、この家の屋号からこの桜は「小峰桜」と呼ばれ、親しまれていました。その後の調査で新種の桜とわかり昭和49年に河津で生まれた桜であることから「河津桜」と命名され、昭和50年4月河津町の木に指定されました。(飯田ひでさん談)


 
昨年の12月中旬から例年になく異常に寒い日の多かった今冬。それでも季節の移ろいはまさに着実、待ちに待った春がやって来ました。名前の通り、河津桜の本場である河津方面に1泊2日で出かけました。伊豆半島の東海岸沿いのR135を走り、河津トンネルを抜けてすぐの所にある駐車場に車を止め、お花見ハイキングコースを歩くことにしました。河津川の左岸には延々と3kmほどの桜並木が続きます。また少し上流の来宮橋付近からは右岸にも桜並木の遊歩道が続き、この辺りから峰温泉郷となりますが、ほぼこのコース全体を歩いてきました。特に左岸には沢山の土産店も立ち並び大勢の人出で、立ち止まって写真を撮るのもままならない盛況ぶりでした。本場の河津桜はよそで見るのよりもやや色が濃いように感じました。土手や菜の花ロードには菜の花も沢山咲いていて、濃いピンクと黄色がとても良くマッチしている風景は素晴らしいものでした。この日はとても風が強く思うように桜風景写真を撮ることは出来ず、町中にある河津桜原木を見て稲取温泉に向かい、雛のつるし飾りを見て今日の宿、今井浜の民宿に入りました。伊勢海老料理を食べたかったのですが、時化の日が多く漁は不作とのこと、代わりにキンメダイの刺身を食べましたがとてもおいしかったです。翌日は天城越えをして家に帰ろうということで、民宿をチェックアウトした後今井浜海岸を少し散歩しました。河津は帰る途中の通過路、再び散策することにしました。もう一度桜の写真を撮りたかったのですが、昨日とは変わって冬日に逆戻り、とても寒く相変わらず風は強い、それにもかかわらず昨日並みのひと、人、ヒト。桜の写真ははあきらめて河津八幡神社に行きました。境内には曽我兄弟と父親の河津三郎の像があります。神奈川にゆかりの深い曽我兄弟、この河津の河津三郎家に生まれ幼年時代をこの地で過ごしたことや、この幼年時代には父親が暗殺されてしまい、その後母親は相州曽我村現在の小田原市)の曽我太郎祐信と再婚、兄弟はこの曽我氏に養育されて成人したことから、後には曽我兄弟となったこと、さらには、父親の河津三郎はとても力があり相撲が強く、彼の得意技であったのでしょう、名前にちなんだ「河津がけ」の元祖となり、現在の相撲技の一つになっているなんて、とても興味深く感じました。また、樹齢1000年以上とも言われる、来宮神社境内にある国指定天然記念物の大楠の根元からは次世代を生きるべく沢山の芽が出ているこの生命力の強さにはには驚かされとても見ごたえがありました。神社参拝の後は河津大滝・七滝地区に寄ってみました。山の中に入り高度もあるので、一部の古木には花が咲いていましたが、ほとんどの桜は全く蕾の状態でした。河津地区とは相当ずれ込みがありそうですので、桜見物の計画の際の一考になるのではないでしょうか?。河津七滝ループ橋の下付近にも沢山の河津桜が植えられています。有名な場所に行って混雑似合うよりも、こんな所で静かにゆっくりと桜見物をするのもいいのではないでしょうか。そんな思いで家路につきました。

























片道3kmにもおよぶお花見ハイキングコースを歩いて往復しました。↑




河津桜の原木↑




河津桜とアロエの花↑





郵便局や交番にも河津桜が植えられています↑




樹齢1000年以上と言われる来宮神社の大楠木↑




栖足寺の河童↑



曽我兄弟の像(河津八幡神社)↑



河津がけの元祖・河津三郎の力石像(河津八幡神社)↑




稲取温泉にある「文化公園 雛の館」の吊るし雛(入園料=¥200)↑









民宿わたや(今井浜温泉)↑




翌日の今井浜海岸↑


二階滝(天城旧道)↑


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