鎌倉・春の散策 【2014.4.11(金)】
朝比奈切通しは鎌倉七口(三方を山に囲まれた鎌倉への七つの入口)のひとつで、朝夷奈切通しとも呼ばれる。1241年(仁治2年)4月から鎌倉幕府執権、北条泰時が命じて作らせた切通しである。現在は、鎌倉市十二所から横浜市
金沢区朝比奈町を結ぶ遊歩道となっている。金沢六浦津から鎌倉へ抜ける重要路線と言うことで執権泰時自ら工事を行ったと言われている。 峠の頂上付近(鎌倉市と横浜市の市境)の辺りが「大切通し」それより金沢寄りを「小切通し」と言い、1969年(昭和44年)6月5日に「朝比奈切通」として国の史席跡に指定された。
鬱蒼とした森の中に有る切り通しは、現在でも当時の趣を感じられる。 工事に際しては、泰時が自ら土石を運び、着工に寄与したという。伝説では、朝比奈三郎義秀(和田義盛の三男)が一夜にして切り開いたことから朝比奈の名前が付くといわれている。
切り通し途中にある熊野神社 (横浜市金沢区)は、鎌倉の鬼門の守り神として建てられたといわれる。現在は、切通しは幹線道路からは外れ、歩行者のみが通行できる静かな遊歩道となっている。切通しに代わる道路として、1956年(昭和31年)切通しの北側に
神奈川県道204号金沢鎌倉線 が開通しており、朝比奈峠と呼ばれている。ウィキペディア
▲ 朝比名切通しの入り口にて。
▲ 昭和16年3月に建てられた朝比名切通碑と小滝小滝は朝比名三郎義秀の名にちなんで「三郎の滝」と呼ばれています。
▲ 歩き初めはこんな感じです。
▲ 道端に石仏も見えます。
▲ 途中から頂上付近まで、岩畳の地形が続きます。
▲ 切通し頂上付近にて(右側のえぐれた部分は、当時のものでなく後の採石場跡ではないかと言われています)。
▲ 岸壁に彫られた石仏。
▲ 落石注意の場所も何か所かありますよ!
▲ 峠をわずかに下ると横浜市に入り、熊野神社に向かう分岐点に到着です。周りははうっそうとした杉林が広がります。熊野神社に寄っ場合は、神社からこの地点に戻るのが通常のルートのようです。切通しはさらに続きます。
▼ 熊野神社
源頼朝が鎌倉に入府後、朝比奈切通し開削にあたって鎌倉の鬼門鎮護の為、勧請されたと伝えられている。古来、安産に霊験あらたな神として信仰され現在は浄明寺地区の鎮守である。平成になり立て替えられた総檜造りの神社で杉木立の中、静かにたたずんでいるパワースポット。
▲ ハイキングをしているとよく杉林の中を歩くことがあります。ほとんどは薄暗く下生えもなく、杉の枯葉や枯れ枝ばかりが目につくのが普通で、杉林は嫌いでした。この一帯の杉は程よい間隔で植えられているし、今回の散策は時期的にも良かったのでしょう、シダ類を初め山野草や低木の緑がとても綺麗でした。オゾンを思い切り吸って森林浴も十分楽しめました。神社の周りに腰をおろし、日差しに当たりながら、または避けながらランチタイムを取りました。朝比奈切通しをこれから歩く方、ぜひこの神社にも立ち寄ってみてください。切通しから分岐した道はなだらかです。しいて言えば、この階段がやや急な位です。
▲ ふたたび切通しに戻ってきました。
▲ 切通し出口付近にも石仏があります、もう少し歩いてバス停へ、お疲れ様でした!