春の鎌倉散歩-2017 【2017年4月2日(日)】
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「銀の鈴」さんを中心とした、恒例の春の鎌倉散歩に今年もご一緒しました。ちょうど桜の花見時期にぶつかろだろうと期待していましたが、今年の桜の開花は低温のせいで長い足踏み状態が続き桜は開き始めの状況でした。天候は曇り、やや風が冷たく時々日が差す程度でした。今回のコースでは、大船駅から比較的近い社寺巡りと鎌倉湖を訪れるのがメインでした。花見にはまだ早いと察知したのか、この界隈を訪れる人はまばらでした。鎌倉駅や北鎌倉駅を起点とする散策コースに比べると人気は劣るようです。その分ゆっくり、のんびり、落ち着いた散策を楽しむことができました。特に次の土日は人、ひと、ヒトの鎌倉となることでしょう。
今回のコース
大船駅=常楽寺・・・多聞院・熊野神社・・・今泉バス停=今泉不動・・・鎌倉湖(散在ケ池森林公園)・・・称名寺・・・今泉不動・・・白山神社=大船駅
常楽寺・参道 ▼
常楽寺・山門 ▼
常楽寺案内 ▼
「之是銀杏樹開山禅師御手植也」▼
仏殿 ▼
本尊の阿弥陀三尊 ▼
天井の雲竜 ▼
庭園 ▼
庭園と本堂 ▼
文殊堂 ▼
龍淵和尚の墓 ▼
大応国師の墓 ▼
開基・北条泰時の墓 ▼
こんな山道を少し上ると ▼
木曾義高の記念碑 ▼
木曾義高の墓 ▼
多聞院・熊野神社↓
多聞院
真言宗大覚寺派の寺院で、山号は天衛山という。 寺伝によれば、創建は天正7年(1579年)で、開山は南介僧都、開基は甘糟長俊である。本尊は毘沙門天。多聞院は鎌倉市山ノ内瓜ヶ谷にあった観蓮寺が前身で、永享の乱で衰えた際に甘粕長俊が現位置に移転して名を改め、南介僧都を迎えて天正7年(1579年)に創建したと伝えられている。もと鎌倉市手広の青連寺の末寺だったが、1950年(昭和25年)に青連寺の前住職である草繋全宜が京都大覚寺門跡となったため、同寺の末寺となった。
熊野神社
大船の鎮守様で土豪甘粕氏の先祖がこの地に祀った神社、祭神は日本武尊、江戸時代までは多聞院が管理していた。甘粕氏は室町時代に上杉氏に仕えた後に、小田原北条氏に仕えた武将。里見氏(上総)が鎌倉を襲い更に玉縄城に迫った時、現在の柏尾川で対峙し進行を止めたものの、甘粕氏家来35人が壮絶な討死した。大船の玉縄塚と言われる塚が大船観音下に残っている。KT
熊野神社 ▼
多聞院 ▼
本堂 ▼
最蔵坊塚(鶴岡八幡宮神職鈴木左近重安の墓) ▼
裏山の山ザクラ ▼
境内のミツバツツジ ▼
キブシ咲く ▼
桜咲く ▼
花ニラ ▼
白い桜 ▼
散在ケ池(鎌倉湖)森林公園 ▼
周辺に4本の散策路を整備した公園で春のサクラ、秋の紅葉で多くの人の憩いの場となっている。元々は農業用水池の役目をしていたが、観光用に鎌倉湖と言うようになった。江戸時代は周辺の村(今泉・岩瀬・大船)の農耕馬の餌にする牧草地であった。やがて人口が増え田んぼが増えたことにより、しばしば深刻な水不足が発生し、争いが絶えず、土地の代官が中心となって堰堤防(長さ220m、幅18m)を造ったのが池の始まりである。観光用に開発される前までは周囲は鬱蒼とした森に囲まれた神秘的な池であった。KT
散在ケ池(鎌倉湖) ▼
椿と ミツマタ ▼
称名寺参道で見つけた桜 ▼
称名寺 ▼
浄土宗のお寺。今泉不動として】親しまれ開山は空海(弘法大師)と伝えられている。鎌倉時代の』少し前に創建され本尊は阿弥陀如来。鎌倉幕府の歴代の将軍の信仰を集め、この地を訪れた弘法大師が岩肌に穴を掘ったら湧き出てきた雄滝と女滝がある事で知られている。江戸・増上寺の大僧正より現在の名前が与えられ、毎月28日に多くの人がお参りする。KT
称名寺本堂 ▼
称名寺境内 ▼
弁天堂 ▼
おかめ桜か(?)▼
弁天堂前の石仏 ▼
ここから不動堂へ ▼
不動堂への階段(上り) ▼
不動堂への階段(下り)▼
不動堂 ▼
三十六童子像 ▼
三十六童子像 ▼
陰陽滝(女滝) ▼
陰陽滝(男滝) ▼
勢至丸(後の法然上人)の像 ▼
山ザクラ ▼
白山神社(〆縄はムカデを表す) ▼
今泉の鎮守様で}源頼朝が創建したとされる。京都の鞍馬寺を参拝した頼朝が毘沙門天像を賜り、この地に勧請したと伝えられている。その後再建修復を重ね明治以降、村の氏神となった。1月の大注連祭りは神社の守護虫である大百足を摸した約7mの注連縄が奉納され、その年の豊作と日々の安寧が祈願される。KT
参道の石仏群 ▼
神社の瓦屋根 ▼
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